送辞

私の担当は、関西ジャニーズJr.を卒業します。

 

 

4月11日、世の中が新元号に浮き足立っている中で彼はブログを更新して、16年間立ち続けたステージを降りる決心をしたこと、これからは後輩の育成に努めていくことをファンに伝えてくれました。いつものやさしい力強い賢い文面でした。

 

自分がファンでいられたのはたったの3年でした。自担と名乗ってからはわずか2年半でした。高校生活のほとんどすべてを彼に捧げてしまっていました。そのおかげで、何よりも濃い、一生の宝物となる時間を過ごすことができました。

 

彼はどこの誰よりも日本におけるアイドルという言葉を体現していたひとだと思っています。だから正直に言うと今回の決断を下したことにわたしは怒ってしまった。あの端正な顔も表現力も絵や楽器の才能も文章力も頭の良さももう見られない。センスだけ他の誰かを通して辛うじて感じることができる、なんてそんな酷な話があるか。私にとって他の誰かは他の誰かでしかないんですもん。大好きな人だけど心から尊敬しているけどだからこそ腹が立ちました。いくら16年間やっているといってもまだまだ未来を見たかった。

 

こんなもんわたしの、オタクとしてのエゴでしかありません。本人はもう未練なぞとっくにないから発表したんです。考えが合わなかっただけ。人間だもの、今まで合っていたことが奇跡だったんです。しかも現に私の周りにはもう「がんばってね」で送り出せている人がたくさんいるわけです。それでもやっぱりつらい。今送り出すには見たいものが多すぎる。いかに自分の思考が幼稚であるか何度も何度も何度も思い知らされた3日間でした。秋に言っていた、「第2の屋良くんではなく第1の真鳥になりたい。プレイヤーとしても」という言葉をずっとしがんで生きていました。

 

 

だからといって反対なんかできるわけないんですけどね。どこにいても成功するに決まってるよ林真鳥のことだもの。自担のやりたいことが見つかった。事務所にそれを飲んでもらえた。「よかった」んです。昨今の色々な動きをジャニーズの働き方改革だという声がありましたが関西Jr.も他人事ではなかったということです。それはまちがいなく喜ばしいことだと言えましょう。その夢をステージの下に見ていたなんて本当、思いもよらなかったな。真鳥担としてまだまだだったんです。自担のことを何もわかっていなかった。

 

 

思えば今春から自担はぱったりと姿を見せなくなっていました。春松竹のポスターにはいませんでした。もちろんグッズも出ませんでした。見学ばかり行っていました。でも全部「渡米してたからリハ行けなかったのかな〜」くらいで自分を納得させていました。春松竹の1週間前に帰国していたからギリギリ間に合いそうだったんですけどね。そこに怪しさを感じていたらいよいよ心が死にそうだったので思いきりフタをして見ないようにしていました。Webにも全然写真なかったし雑誌にもいなかったけど。

 

 

春松竹の幕が開きました。やっぱりステージにいなかった。その代わりに客席にいたようでした。ジャニーズWESTの神山くんも一緒でした。神山くんはネットニュースなどで「新曲の振付、作詞作曲をした」と取り上げられていました。コントにはOB・浜中文一くんがアドバイスをしたとも書いてありました。そこに自担の名前は一切ありませんでした。実際、関わっていたのにね。それを知らせてくれたのは本人だけでした。ツイッターで「自担をヴォルデモートにするな」と憤りました。春松竹期間中演者の誰も自担の名前を出さなかったのも今思えばおかしかったのか。今思えば裏方の人間になっていたから出す必要もなかったんですよね。それにしたってせめてネットニュースはちょっとくらい書いてくれたってよかったんじゃないの。燃やすぞ。

 

 

3月の産経新聞夕刊に、自担とずっと活動していた朝田淳弥くんと今江大地くんがふたりで載りました。そこに朝田くんが春松竹の楽屋で撮った写真も載っていました。その写真に写っていたのは朝田くん、今江くん、古謝くん、今はAぇ!groupの一員となった末澤くん、リチャードくん、そして自担である真鳥くんでした。その6人は昨秋のコンサートで同じくくりだったメンバーでした。それが公式にアイドルとして写真が出た最後でした。朝田くんは今春の松竹座の千秋楽でアイドルとしての10年間に幕を下ろしました。

 

 

つい昨夏まで前述の6人となにわ男子(今やバーチャルアイドルの中の人でもありますね)の大橋くん、藤原くんの8人は「Funky8」と呼ばれていて(屋良朝幸くん命名)、それはそれは熱心なファンがめちゃくちゃいました。非公式ユニットだったので絶対に公式にするべくハガキやメールを送りまくり写真を買いあさりました。デビュー組をさしおいて雑誌のベストショット投票で3位以内に入るなんて快挙を何度も成し遂げました。

 

 

でも何が気に障ったのか知らんけど事務所はめちゃくそに引き離そうとしているように見えました。内部事情とかほんまに知らんけど。あくまでそう見えただけです。私たちは何も知り得ません。かろうじて雑誌は8人で載りつづけていましたがそれも18年4月が最後でした。あんなに面白くて踊れるグループの行く末をずっと見守っていたかったのですが、今でもみんなそれはそれはカッコよく生きているのでこんなこと言うのも野暮ですね。しまっときましょう。

 

 

昨秋からわたしは徐々に自分が「関ジュ箱推しの真鳥担」から「真鳥担」にシフトチェンジしていくのを感じていました。あまりに自担の出番が増えたために他を見る余裕がなくなったという方が正しいかもしれませんが。自担はユニットができても自分がそこに属していなくてもそんなの関係なく誰もを圧倒するアイドルなんだと誇らしかったし、少なからぬ大人たちにその実力をやっと認めてもらえたようで本当に嬉しくてたまりませんでした。関西Jr.のオリジナル曲でもソロパートをたくさんもらっていました。快挙、快挙です。この間まで関ジュオリ曲では誰かの後ろで踊っていた人がやっと自分のために用意されたパートを歌ったのです。

 

 

そして同じ秋のコンサートから自担はものすごく振付の面でフィーチャーされてゆきました。8曲も振り付けていました。大倉くんはブログで「いつか全部できるようになればいい」と書いてくれていました。うれしかった。自担の光る才能をみつけてくれる人が昨夏から関わりの深い関ジャニ∞の先輩だったなんてそんなうれしいことがありますか。だから一昨日から自担のダンスの才能を少し恨めしく思ってしまっている自分が情けないです。一番惚れ込んだものだったのに。

 

 

室龍太くんと向井康二くんが卒業した今年の1月のあけおめコンサート。結果的には自担にとっても最後のステージとなってしまいました。その直後彼は渡米しました。20日に更新されたブログに「関西Jr.をパワーアップさせる」と書いてありました。自分のために踊りなよってちょっと思ってた。いや、踊りで生計立てるんだから紛れもなく自分のためなんですけど。

 

 

自分の年齢云々も考えたってのが何よりも寂しかったです。身体年齢18歳って自慢してたのに。しかもめちゃくちゃ童顔なのに。気付いてるのかな。まあそういうことではないんだけど。でも29歳なんて18歳のわたしからしてもまだまだイケるのにね。自担がそんなこと考えてたんだって何も察することができなくて悔しかったです。察する隙も与えなかった自担が一枚上手だったんですね。完敗!

 

 

と長々と書いてきましたがやっぱり私はアイドルの彼を愛しすぎました。表に立つ姿を絶対視しすぎていました。春松竹中「真鳥くん裏方になったの!?」とか「辞めたの?」って言ってるユーザーを片っ端からブロックしていきました。うるせえ黙れと何度思ったことか。そんな憶測ひっくり返すのが自担だろって思ってました。

 

 

というのも16年の秋、突如自担に退所疑惑が出て。本当になんのソースもなかったのに当時のアホな私はうのみにして毎晩泣いていました。日誌で全否定してくれたわけですが。そのときやばいアイドルだなと感銘を受けたんですよ。スゲー、需要と供給をこんなにマッチさせるアイドルって本当にいるんだってずっと感動していました。だから今回もスーパーアイドル林真鳥アメリカから帰ってきたぞとワクワクしていました。さあ情報垢の鼻をあかしてやれと思っていました。

 

 

 

こんなときに予想を的中させてどうするんだよ!

 

 

 

 

ここまで恥ずかしながら恨み言じみたことを言ってきたけど、もちろん自担は悪くないんです。当たり前のことですが確認までに。思い描いてた形がそれぞれ違ったというだけです。そして私が幼稚だから自担の思いをうまく飲み込めていないだけ。私が悪いんです。オタクってよく言うじゃないですか「自担が幸せならなんでもいいよ」って。自分は自分が「自担の幸せが私の幸せ教」の敬虔な教徒だと思っていました。のはずが、こんなに自担の行く末に対してゴネてしまう自分がいました。化けの皮がはがれました。今まで気付かなかったけど、アイドルであることに固執して、大好きで仕方がないはずの自担のお荷物になってしまっていたんです。本当に情けないな!涙出てきた!こんな愚かしいオタクを今まで受け入れてくれていた自担の懐の広さに深く感謝しなくてはいけません。

 

 

真鳥くんが私に与えてくれたものは無数にあります。まず生きる目的。稼ぐ目的。勉強する目的。

 

あと一生の友達。わたしには高校で知り合った関ジュ担の友達がいるのですが出会いのキッカケはその頃書いたブログの話題が友人の口から出たことでした。なんか知らんけど「それ私やで」って言ってしまいました。盛大な垢バレ。セルフ垢バレ。入学して1週間でのスピード垢バレでした。なんと世間の狭いこと。

ツイッターや現場で知り合ったお友達も本当にたくさんいます。本当に頼もしくて面白くて楽しい方ばっかりです。出会えてよかった。あれもこれもまとくんが繋いでくれた縁にほかなりません。

 

 

自分の考え方にも影響がありました。一番好きなのが「死なへんし、結局死ぬし論」

 

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なんかもう、すごいでしょ。語彙を捨てちゃったけど、すごいでしょ。ポジティブでしょ。そりゃあんな力強い日誌が書けるわけだ〜!!自担の強さがあまりにも眩しい。直視できないレベルで眩しい。受験がうまくいかなくて泣いたとき、親と衝突したとき、困ったときはずっとこれを読むようにしていました。今でも心の指針です。

 

 

 

 

真鳥くん、本当に本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。今のわたしを形作ってくれたのは間違いないから。そしてこの2年半はものすごく、ものすごく楽しかったから。

 

 

 

16年間のうちの3、4年間しか見届けることができなかったことを私は本当に悔しく思っています。まだ高校生だからと自分に言い訳をしてあまりたくさんグッズを買えなかったことも。あまりたくさん現場に入れなかったことも。全力で突っ走っていたつもりだったけれど後悔してしまうということはまだまだ全力を尽くすことができないでいたのです。

 

 

 

何より、あの時うちわを、写真を、一枚でも多く買えていたら自担は考えを変えていたのだろうかというあまりに愚かな問いが脳裏をよぎる瞬間が幾度もあるのです。

 

 

 

まあ何をしても彼を引き留めることはできなかったんだろうと思います。あの日誌を読めばわかる。みんな月額324円払って読もうね。ネット上のスクショで済ましちゃだめだよ。確固たる思いとか言うけど固すぎでしょ。誰が何をしても引き留められないよ。そんな隙のない文章を書きあげていたこともまた、寂しかったです。悲しいって言っちゃだめなんだもんね。寂しい。

 

 

自担の優しいところが好きです。でも、自分が一番目立ってやるんだ、自分がスポットを浴びてやるんだっていう泥臭さはもっと好きです。自分で組んだフォーメーションは大抵自分がセンターだった。自分の得意なタットに足技入れまくって他メンを困らせた。それでもついてくるのが自担の仲間だったけどね。まあリチャと末様は大分ゴネたようだけどw でも後輩にたくさん慕われている自担が大好きでした。頼りにされていました。

 

 

小さい子にものすごく甘かった。犯罪級のショタコン。川北翔くんに「無人島に連れて行って一緒に死にたい」と言ったり嶋﨑斗亜ちゃんに「パパ」って呼ばせたり18年組連れ立ってコンビニ行って「好きなもん持っておいで」って言ったり。なんなんだあんたは。ちょっと好きすぎるよ。

 

 

顔もたまらなく好きだった。鼻が大きいことを本人はずっと気にしていたけれど私はそこが一番好きでした。くるくる動く目もきゅっとした口も八重歯も(もうなくなっちゃったよね)全部好きだった。ピアスホールも色気があってすごく魅力的だった。

 

 

うっかり者でポンコツショタコンで多才で天才。これ以上ない至高のアイドル林真鳥を担当できたことがわたしの人生最大の喜びです。まだまだ私は幻影を見てしまうだろうし。さめざめと泣いてしまうかもしれない。なんでだよ!!!!!!!!!って何回も思うかもしれない。現に今思ってる。なんで今、なんで裏なんだよ!!!!!!!!!!って何回も叫んでしまった。これからも楽しみなんて言えない。楽しみを預ける相手は自担以外にいない。本当に、本当にごめんなさい。意気地なしのわたしはもう関西Jr.の現場に行きたいと思わなくなってしまいました。せっかく行ってステージの後ろばかり振り返ってしまうファンになるのは申し訳ないから。自担の見せたいものは舞台上にあるのに。

 

 

結局送る言葉はまだ言えなかった。5000文字も書いたのに。たくさん恩を受けたのにこんなファンで本当にごめんなさい。後悔しか今は思い出せない。でも、いつかはこんな気持ちを消化してなんとかすることができたらいいな。まあいつかはできる気がする。だって、

 

 

 

 

 

 

 

死なへんし、結局死ぬし。